青木木米

青木木米は江戸の後期に活躍した、京都出身の陶芸「京焼」や絵師として有名な人物です。なかでも青木木米は煎茶器に優れていたこともあり、京焼の幕末三名人と称されました。青木木米は、もともとは裕福な家で生まれ育ちましたが、陶説( …

荒川豊蔵

荒川豊蔵は人間国宝としても名高い人物でもあり、昭和を代表する美濃焼で有名になった人物です。荒川豊蔵の出身は岐阜県の多治見市になり、兵庫、名古屋へと拠点を移し生活しました。星岡窯にいたときに、美濃焼の美しさに惹かれ、いつか …

板谷波山

板谷波山は、茨城県出身、明治~昭和にかけて活躍した陶芸家として知られています。茨城県の名誉県民でもあり、文化勲章受章者です。板谷波山は、東京美術学校で基礎を学び、石川県の工業学校の主任教諭として採用され、これをきっかけに …

井上萬二

井上萬二は、佐賀県の有田町で生まれ、有田焼を世に広めた重要な役割を担った人物です。日本工芸会参与としても認定され、人間国宝としても知られています。井上萬二は、生家が窯元だったものの、一時は海軍の飛行予防練習生となります。 …

今泉今右衛門

今泉今右衛門は、佐賀県の陶芸家でもあり、江戸時代からの伝統を今に守り続けている人物です。鍋島焼は、一子相伝の技法としても知られており、今は14代目が引き継いでいます。色鍋島と呼ばれる品格のある美しい色彩や、赤の調合が特徴 …

奥田頴川

奥田頴川は、江戸時代中期に誕生した陶芸家としても知られ、清の侵略のときに亡命した人物の末裔ではないかと考えられています。奥田頴川は、質屋を継ぐも、文化活動に熱心な人物でもあり陶芸に熱を上げていたのだとか。京焼では初めての …

加藤唐九郎

加藤唐九郎は、愛知県の春日井市出身の陶芸家であり、明治から昭和にかけて活躍しました。両親が窯業を営んでいたこともあり、幼少期より自然と馴染み、のちに父親の製陶工場の一部を譲り受けるまでになります。加藤唐九郎は、一時期、助 …

河井寛次郎

河井寛次郎は、島根県出身の陶芸家でもあり、随筆や書物、詩などの幅広い分野で活躍した人物です。もともとは大工の家出身になりますが、師匠と呼べる人物はおらず学校で教育を受けた珍しい陶芸家としても知られています。河井寛次郎は、 …

川喜田半泥子

川喜田半泥子は、大阪府で生まれ、伊勢の豪商の裕福な家庭で育ちます。ただ、1歳のときに祖父や父を亡くしたため1歳で当主となります。母も18歳で未亡人になったことで実家に帰り、祖母のもとで育てられることになります。川喜田半泥 …

北大路魯山人

北大路魯山人は、京都府出身の陶芸家でもあり、もともと士族の家柄でした。ただ、位が低かったこともあり、生活は裕福なものとはいえませんでした。北大路魯山人は、義理母からの虐待もあり、近所の人が養子話を持ちかけ、福田房次郎とし …

近藤悠三

近藤悠三は、陶芸家として人間国宝に指定されている人物になり、京都の清水寺下出身です。実際に祖父は、清水寺の地侍として務めていたと言われています。近藤悠三は、陶磁器の試験場にて助手として勤務したあと、窯業科学などを学びます …

酒井田柿右衛門

酒井田柿右衛門は、佐賀県生まれの陶芸家でもあり、西部伝統工芸展に何度も初入選を果たし、有田焼の陶芸協会の会員や、日本工芸会正会員として活躍しました。酒井田柿右衛門は、数々の展覧会を開き、現在は15代目に当たります。初代の …

清水卯一

清水卯一は、京都府出身の陶芸家であり、もともと陶磁器の卸問屋の長男として誕生しました。父が若くして亡くなったため、家を継ぐことを目的に商業学校に入学。中退し石黒宗磨のもとで弟子として陶芸を学ぶようになります。ただ、戦争も …

清水六兵衛

清水六兵衛は、陶磁器で代々受け継がれてきた名前です。初代清水六兵衛は、大阪府の高槻市の農家で生まれ京都にて陶業を学びました。特に茶器をメインに制作していたようで、黒楽茶碗なども制作しています。現在は8代目になり、京都出身 …

松花堂昭乗

松花堂昭乗は、和泉の国境で生まれ、江戸時代の真言宗の僧侶として活躍した人物になります。松花堂昭乗は、文化人としても有名な人になり、陶芸はもちろん、茶道や絵画、書道などに長けていたそうです。なかでも能書家としても高く評価さ …

鈴木藏

鈴木藏は、岐阜県出身の陶芸家でもあり、重要無形文化財保持者としても高く評価されています。もともと出身地が美濃焼の産地になり、父親も陶磁器試験場の技師として活躍していました。鈴木藏は工業高校を卒業後、陶芸部試験室の助手とし …

大樋長左衛門

大樋長左衛門は、石川県金沢市出身の陶芸家になり、大樋焼の当主として君臨しています。大樋焼の個展を開くときはその名を使いますが、自由に個展を開いて楽しみたいときは、大樋年朗の名前を名乗っていたそうです。大樋長左衛門は、文化 …

高橋道八

高橋道八は、京焼(清水焼)の窯元として代々受け継がれている名前です。特定の人だけを指すものではないので、代替わりによって多少の違いもあります。初代の高橋道八が誕生したのは、1740年の頃になり、煎茶が最も栄えた時期だった …

田原陶兵衛

田原陶兵衛は、山口県の長門市で生まれた陶芸家です。長兄11代田原陶兵衛の跡継ぎがいなかったことで、家業を継いだとも言われています。田原陶兵衛は、歴代受け継がれてきた名前でもあり、茶器を中心に製造していること、高麗朝鮮陶器 …

富本憲吉

富本憲吉は、大阪府の大地主の家に生まれ、子供の頃より絵を学べる環境で育ちます。東京美術学校に入学した際に、ウィリアム・モリスの思想に影響されロンドンに留学して卒業します。富本憲吉は留学中に、建築家の新家孝正と出会い、写真 …

濱田庄司

濱田庄司は昭和に活躍した、比較的新しい時代の陶芸家でもあります。神奈川県の溝の口で生まれ、高等工業学校の窯業科に入学し、基礎全般を学びます。卒業したあとは、河合寛次郎と一緒に京都の陶芸試験場にて研究を行います。濱田庄司は …

藤本能道

藤本能道は日本の陶芸家でもあり、重要無形文化財保持者として知られています。もともと東京の新宿区に生まれ、東京美術学校工芸科図案部を卒業したあと、文部省の技術講習所に入ります。藤本能道は、1938年には富本憲吉の助手を務め …

藤原啓

藤原啓は、兄弟で陶芸家として活躍し他人物になり、岡山県の備前市出身です。名誉県民としてもその名を知られています。藤原啓は、子供のときから俳句や小説などの文才を発揮し1等を獲得。これをきっかけに上京し、編集部に勤務し担当を …

細川護熙

細川護熙は、日本の政治家として活動した人物になり、新聞社や参議院議員、県知事、内閣総理大臣など目覚ましい活動をしました。還暦のときに政界を引退し、その後は陶芸家や茶人などの活動を行っていたそうです。細川護熙の祖母の住まい …

松井康成

松井康成は、長野県佐久市出身の陶芸家です。戦時中には茨城県に疎開し、卒業後に、奥田製作所にて陶芸の技術を学び習得します。松井康成は、大学を卒業したあとに月崇寺の住職になり、窯を作り研究を続けたといいます。とても探究心の強 …

宮川香山

宮川香山は京都に生まれ、もともと陶芸家である真葛宮川長造の四男でした。宮川香山は、19歳のときに家督を継ぐと、当時「香山」としての称号を受けていたことから、その名前で活動するようになります。色絵の陶磁器や磁器などはもちろ …

三輪休和

三輪休和は、山口県萩市に生まれ、人間国宝にも指定されている人物です。荻藩御用達の窯三輪家の次男として生まれます。三輪休和は、中学校に入学するも、職人に学問はいらぬという考えのもと、2年で退学してしまいます。その後か行に専 …

楽吉左衞門

楽吉左衞門は千家十職の一つとして、楽焼を使った茶器を制作しています。初代の長次郎は、創設者の父のもとで生まれ黒軸をかけた茶碗制作で高い才能を発揮します。楽吉左衞門の「樂」は豊臣秀吉から与えられたものになり、楽焼の始まりに …

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